老いると考えない。老とは色々なことが見えてくる成長である。
歳をとるということが、少子高齢化の日本においては望ましいことではないように思うような風潮があるが間違いであろう。とある長が言っていたのは、「何が問題なんですか?みなさん、長寿国をめざしてきたじゃないですか?セロトニンの少ない、心配性な日本人は、できたらできたで不安がる。そう考えないのがいいと思います。」
なるほどね。
子供のころから高齢者と一緒に過ごした経験のある人間は高齢で元気であり、そうでない人は高齢で朽ちるようになる。そもそも、人は人を見て比較するという癖のある人と(カレンフォルナー)そうでなく自分は自分であって自分は自分だけであると考えないと、ただ劣等感が発生するだけである。・・・・・これも間違いである。
とは驚いた。
比較するから劣等感を持つのではない、劣等感をもっているから比較するんだ。とのことである。比較しても励みにすればいいのであるが。そこで劣勢を感じると自分をひけらかすようになってくる。
交流分析についてには「私はリンカーンである」精神病「わたしがリンカーンだったらな」は神経症であり「私は私、リンカーンはリンカーン」これが正常である。
なるほどね。そいういうことかもしれまん。